子どもって、店先やテレビを見ているとき、お友達が持っていたりすると、「これ欲しい」「あれやりたい」と口癖のように言いませんか?
「みんな持ってるよ」「○○ちゃんも持ってる」。そのお決まりの言葉が飛び出すたびに、私はため息をついていました。
我が家は子ども4人兄弟。その声が重なると、ちょっとした大合唱でした。
「基本的には買わない」
子どもに「これ欲しい」と言われても、基本的には買わないことが多かったと思います。4人いると、何かとお金がかかります。そんな思いもあって、私は「必要かどうか」で判断していました。
でも今思うと、その判断はいつも私の基準でした。
たとえば外食のとき。せっかく食べに行ったのに、デザートを我慢させたり、値段の安い方を選ばせていました。今思えば、子どもの食べたいものを食べさせてあげればよかった。小さい頃に食べる量なんて知れています。金額的にはそれほど大きくない。でも当時の私には大きく感じられて、それより子どもの満足感を大切にするという発想がありませんでした。
「お母さんはいらないし、必要ないと思うよ。」
そうやって返していました。
「それはお母さんの基準でしょ」
あるとき、子どもにこう言われました。
「それはお母さんの基準でしょ。お母さんがいるかいらないかじゃなくて、僕は欲しいの。」
四男が幼稚園くらいのとき、おもちゃが欲しいと言ったときのことでした。私は「本なら買ってもいいか」と思い、おもちゃの代わりに本を買ってしまっていたのです。
確かにその通りです。私は図星を突かれ、ドキッとしました。でも素直に受け止められなくて、「お母さんはそう思うの。思ったことを言ってもいいでしょ。」と、開き直るように返していました。
子どもは納得していない様子でしたが、それ以上は言わず、少し呆れたような顔で、どこか理不尽そうにしていたのを覚えています。
「節約のつもりだったけれど」
次男が中学生のとき、部活のシューズのことで言い合いになったこともありました。まだ履けるから一足でいい、と私は思っていました。でも次男は二足欲しいと言う。
「もったいない」「価値がない」と感じてしまっていた私。でも今思えば、二足持ちの方が交互に使えて結局は長持ちしたのかもしれません。興味のある時に、タイミングよく手にしないと、活きてこないことが多かったのだと今はわかります。
金銭的に余裕があったわけではないので、選んで買うしかなかったのも事実です。でも振り返ると、私は「節約」というより、自分の価値観で選んでしまっていたように思います。
「声を聞けばよかった」
子どもにとっての「欲しい」と、親の「必要かどうか」は、同じではありません。あのとき、もう少し立ち止まって、「なぜ欲しいのか」「本当に必要なのか」を一緒に考えればよかったなと思います。
「それでも、ちゃんと育った」
理不尽を感じながら育った子どもたちですが、今それぞれのお金の使い方を見ていると、思わず笑ってしまいます。
長男は、自分の買える範囲のものをその時の気分で選ぶ。まだ使えるものでも気分が変われば新しいものを買う。私にはもったいなく見えるけれど、自分の範囲内で納得のいく生活にこだわるお金の使い方です。
次男は、厳選してこだわって少し高価なものを長く使う。そして貯蓄にも熱心。あのシューズの言い合いが、どこかに活きているのかもしれません。
三男は、とにかく趣味にはお金を厭わない。でもそれ以外は必要最低限でいい。四男はまだ発展途中です。
親がうまく伝えられなくても、子どもは子どもなりに学んでいくのかもしれません。そしてそれぞれの「自分のお金の使い方」を、ちゃんと見つけていくのだと思います。


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