周りの目が気になっていたあの頃
子どもたちが小さかった頃、外出先で一番気になっていたのは、子どもたちの行動そのものよりも、周りの人の視線でした。
兄弟喧嘩の場面で
特に兄弟喧嘩が始まったとき。誰も何も言ってこないのに、「ちゃんと止めないの?」と言われているような気がして、居心地の悪さを感じていました。
4人兄弟なので、喧嘩や物の取り合いが始まると、止めに入った子がさらに喧嘩になったり、おもちゃを取った子からまた取り上げたり……ということが日常的にありました。取り返してあげているだけなのに、横取りに見えてしまったり、大きい子が小さい子のものを取っているように見えてしまったりしていたのだと思います。
兄弟だと伝えるためのお揃いの服
お揃いの服を着せていたのには、いくつか理由がありました。
旅行のときなどは、4人にお揃いの服を着せていました。一目で兄弟だと分かるようにしたかったからです。
それだけじゃなくて、写真を撮るときにお揃いだとかわいいというのもありました。そして迷子になってしまったときも、「この服を着た子を見ませんでしたか」と周りの人に聞けばすぐに探せる。ちょっとした工夫でしたが、4人を連れて歩くなりの知恵だったのかもしれません。
おしゃれのためというよりも、周りの人に安心して見てもらいたいという、私なりの小さな工夫でした。
自由にさせる子育てと周りの評価
正直な気持ちは、「これはうちの問題だから、ほっといてほしい」というものでした。兄弟喧嘩も、子ども同士で学ぶ大切な時間だと思っていたからです。
雨上がりに駐車場の水たまりを見つけると、子どもたちは嬉しそうに座り込んで水遊びを始めていました。着替えを2セット用意しているので気にせず遊ばせていると、非常識だなというような目で見られることがありました。よその子も遊びたそうにしていて、その子の親御さんに迷惑そうにされたこともあります。
公園の砂場では、砂の感触が楽しくて頭から砂をかぶったりして、髪の間まで砂まみれになって遊んでいることもありました。周りの人に引かれているのが分かりました。
子どもたちの様子を見た後、必ず私の方に視線がくる。それは、好意的なものとは言えないものでした。
強がりの奥にあった本当の気持ち
そのたびに心の中で「迷惑はかけていないし、ちゃんと見ているから大丈夫」と自分に言い聞かせていました。兄弟喧嘩も、子ども同士で学ぶ大切な時間だと思っていたし、のびのび遊ばせることを大切にしていたからです。
周りからの無言の圧力は、結構強いものもありました。だから「これでいいんだ」「大きくなった時に答えは出るんだ」と思って、自信満々な姿を装っていました。
でも本当は、いっぱい迷って、悩んで、辛い時もありました。失敗もしました。批判されているのではないかという気持ちがどこかにあって、強気に振る舞いながらも、心の隅では揺れていたのだと思います。
今振り返って思うこと
それでも、私は自分の関わり方を変えませんでした。正解かどうかは分からないけれど、そのときの私なりに考え、選んだ方法だったからです。周りの評価よりも、子どもたちとの関係を大切にしたいという思いがありました。
強がりながらも、心のどこかでずっと「絶対うちの子はすっごい大人になるんだ」と思ってきました。
結果は……普通に成長しています。特別な何かにはなりませんでした。
でも、親をとても大切にしてくれて、家族思いの優しい子たちに育っています。今はそれが、何よりの答えだったと思っています。
今振り返ってみると、あの視線が本当に何だったのかは分かりません。気のせいだったのかもしれないし、実際にそう見えていたのかもしれません。でも、あのとき感じていた居心地の悪さは、確かにそこにありました。
同じように、誰かの目が気になっている人もいるかもしれません。正解かどうかは、すぐには分からなくていいのかもしれないなと、今は思います。


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