三男や四男を出産した頃の話です。
私は4人とも切迫流産と切迫早産でした。
安定期に少し動ける時期はありましたが、それ以外は安静生活。出産が近づくと実家へ帰り、半年近く家を空けることもありました。
三男の出産のときは、長男は幼稚園を休みたくないと言って夫と留守番。私と次男が実家へ行きました。
四男の出産のときは、長男と次男が夫と留守番。
今思うと長い期間でしたが、当時の我が家にとってはそれが当たり前でした。
私はとにかくお腹の子を無事に産むことが最優先。
夫は家事全般なんでもできる人でしたし、子どもたちも毎日元気に過ごしていました。
だから、「きっと大丈夫」。
そんなふうに思っていたように思います。
当時はまだスマホもありませんでした。
顔を見られるのは週末だけ。
それでも週末に会うと、子どもたちは一週間の出来事を競うように話してくれました。
「聞いて聞いて!」
「僕ね、こんなことがあったよ!」
兄弟で遊び回り、笑い合い、いつも通りの時間が流れていました。
夫の実家にもたくさん助けてもらいました。
幼稚園バスは夫の実家で降ろしてもらい、夕飯をごちそうになることもありました。
たくさんの人に支えられていたのだと思います。
そんな中で、今でもよく覚えているのがお弁当です。
幼稚園も小学校も中学校も普段は給食でしたが、行事の日だけはお弁当が必要でした。
夫は朝5時に起きてお弁当を作っていたそうです。
夫は家事全般なんでもできる人でした。
料理もできます。
ただ、冷蔵庫の残り物でパパッと作るというより、やるなら凝ったものを作るタイプでした。
送られてきた写真のお弁当は、私が作るものよりずっと手が込んでいました。
キャラ弁だったり、細かな飾り付けがしてあったり。
中でも忘れられないのがサッカーボールのおにぎりです。
海苔を五角形や六角形に切り、一枚ずつ貼り付けて作られていました。
写真を見たとき、
「すごい……」
と本気で驚きました。
幼稚園の先生から、
「お父さんのお弁当、すごいですね」
と言われたこともあります。
もしかしたら子どもたちが自慢していたのかもしれません。
当時の私は、お弁当のすごさに感心していました。
感謝もしていました。
でも正直に言うと、
「私が動けないんだから仕方ない」
という気持ちもどこかにあったように思います。
夫ならきっとできるだろう。
そんなふうに思っていました。
子育てが終わりに近づいた今、あの頃のことを振り返ると見え方が少し変わりました。
本当にすごかったのは、お弁当だけではなかったのだと思います。
夫は子どもたちを幼稚園へ送るとき、子どもが通ってほしい道を通ってくれていたそうです。
幼稚園の隙間から車が見える場所では、子どもたちが手を振るのを毎日確認していたとも聞きました。
仕事をしながらの送迎。
行事の準備。
お弁当作り。
そして、子どもたちが安心して毎日を過ごせるような、たくさんの見えない気配り。
当時の私はそこまで見えていませんでした。
子どもたちはいつも楽しそうでしたし、週末に会えば元気いっぱいでした。
だから、「大丈夫なんだな」と思っていました。
でも今振り返ると、子どもたちは満たされていたのだと思います。
夫は仕事をしながら送迎をし、お弁当を作り、毎日の暮らしを回してくれていました。
今思えば、見えないところでたくさん気を配ってくれていたのでしょう。
だから子どもたちは、私がいない時間も安心して毎日を過ごせていたのだと思います。
当時も感謝していました。
でも今の感謝は少し違います。
サッカーボールおにぎりの写真を見るたびに思い出すのは、お弁当そのものではありません。
私が家を空けていた半年間を、子どもたちにとっていつも通りの日常にしてくれていたこと。
そして、子どもたちが満たされた毎日を過ごせるよう支えてくれていたことです。
あの頃は気づけなかったことが、子育てが終わりに近づいた今だから見えてきました。
だから改めて、ありがとうと思うのです。


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