4人の宿題について書いてきた。
長男は、追い込まれないとやらない。
次男は、納得できないことはやらない。
三男は、だいたいだった。
四男は、「あとでやる」と言って、やらない。
同じ家で、同じ親に育てられて、同じように「宿題やりなよ」と言われていたのに、こんなにも違った。
4人の宿題を思い出しながら、今さらだけれど、私はずっと宿題に疑問を持っていたんだなと思う。
小学生の宿題は、子どもだけのものではない。
親が採点をして、間違っていればやり直させて、親のチェックを記入する。
やりたくない子は、なかなか進まない。
夕方の忙しい時間に、宿題に長時間付き合うこともある。
そして、宿題をやらないと、
「低学年のうちは親の責任です」
と言われることもあった。
私は、それがよく分からなかった。
子どもが学校から帰ってきたあとの時間まで、どうして学校に管理されるんだろう。
もちろん、勉強すること自体が嫌なわけではない。
むしろ、毎日机に向かって何かを勉強する習慣がつくことは、強いことだと思っている。
「勉強しよう」と思ってから机に向かうのではなく、毎日の生活の中で無意識に取り掛かれるようになれば、勉強することへのハードルはかなり下がる。
その習慣を、たとえ宿題でも身につけられるのなら、それは大きなことだと思う。
4人に何が何でも宿題をやらせようとは思わなかったけれど、
「毎日やる」ということには意味があるのかもしれない。
今になって、そんなふうにも思う。
ただ、宿題の内容については、やっぱり疑問が残る。
できる子も、できない子も、基本的には同じことをやる。
簡単すぎて、やっても意味がないと思う子もいる。
難しくて、できない子もいる。
何度も同じことを繰り返すことで身につく子もいるだろうけれど、別のやり方のほうが身につく子もいる。
4人を見ていても、本当にそれぞれだった。
だったら、
「自分はどうやったら覚えられるんだろう」
「どうやったらできるようになるんだろう」
と、一人一人が自分の学び方を考えて取り組むような宿題だったら、もっと面白いのになと思う。
もちろん、学校でそれを一人一人に合わせてやるのが簡単ではないことも分かる。
今の学校がどうなっているのかは、私は分からない。
私が子育てをしていた頃の宿題を振り返って、そう思うだけ。
私は、基本的には子どもに任せていた。
「宿題やりなよ」と声をかけることはあっても、つきっきりでやらせることはしなかった。
学校から注意されたら、さすがに言った。
そして、4人それぞれへの対応が違ったのは、私の考えが変わったからではない。
4人の個性が違ったこともある。
それに、長男のときと四男のときでは、家庭の状況もずいぶん違った。
子どもの習い事や部活、それぞれの活動状況によって同じようにはできない。
だから、そのとき、その子に合わせて、自然と対応が変わっていったのだと思う。
今振り返ってみても、
「もっと宿題をちゃんとやらせておけばよかった」
とは、単純には思わない。
でも、
「もし毎日ちゃんと宿題をやっていたら、学習する習慣はついていたのかな」
と思うことはある。
毎日机に向かう習慣には、やっぱり力があると思う。
一方、宿題の内容には疑問がある。
その二つを、私はずっと考えていたのかもしれない。
4人の宿題を振り返ってみても、結局、
宿題って、なんのためなんだろう。
その答えは、今でもよく分からない。
ただ、同じ宿題を出されても、4人が同じようになるわけではなかった。
そして、親が同じように育てても、子どもはそれぞれ違う。
4人の宿題を書き終えて、今思うのは、
宿題をやらせることよりも、その子がどうやったら学ぶことができるのか。
そんなことを、もっと考えてみてもよかったのかもしれないな。

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