4人の子どもを育ててきたけれど、宿題との付き合い方も4人それぞれだった。
今回は次男の話。
次男は、あまりしっかり宿題をやる子ではなかった。
というより、低学年の頃から学校の勉強そのものを「簡単すぎてつまらない」と言っていた。
宿題も、
「こんなの簡単すぎて、やる意味ないじゃん」
と言っていた。
私が「宿題やったの?」と聞いても、
「あー、はいはい」
という感じで、聞き流している。
長男のように、やりたくないけれど最後には追い込まれてやる、という感じでもない。
次男は、そもそも「なぜやるのか」が納得できなかった。
「宿題はやるものです」
次男は小さい頃から、自分の考えをはっきり持っている子だった。
親だから、大人だから、先生だから。
それだけの理由で言われたことを素直に受け入れるような子ではなかった。
みんながなんとなくスルーしているようなことでも、
「なんで?」
と引っかかる。
納得できないことは、そのままにはできない。
だから、宿題についても先生とぶつかることがあった。
低学年の頃、宿題をやっていないことで先生から呼び出されたことがある。
「言い訳や屁理屈を言って宿題をやりません。お家でしっかりやらせてください。低学年のうちは親さんの責任です」
そんなふうに言われた。
私は、
「はぁ……」
と思った。
なんで私の責任なの?
私だって、次男の言っていることを聞いていると、
「別にやらなくてもいいんじゃない?」
と思うことがあった。
もちろん、親の立場でそんなことを言うわけにもいかない。
だから、
「まあ、やったほうがいいんじゃない?」
とは言った。
ただ、
「その代わり、テストではちゃんといい点数を取らないとダメだよ」
とも言った。
次男は、テストではちゃんとできていた。
学校で習っていることも理解している。
それなのに、同じような問題を何度も繰り返してやる。
それに何の意味があるのか。
次男は先生にも、
「意味わからん」
と言っていたらしい。
この先生は、次男のことを受け入れるのが難しかったのだと思う。
結局、次男は完全に「問題児」という判定になっていた。
先生によって、こんなにも違う
でも、すべての先生とぶつかっていたわけではない。
次男のことを理解してくださる先生もいた。
できていることを何度も繰り返すのが嫌だという次男に、宿題の内容を工夫してくださったり、いくつかの中から自分で選べるようにしてくださったり。
次男は、書くことを面倒くさがるところもあったので、書く量を少なくするように対応してくださった先生もいた。
今みたいにタブレットがあったら、もっとよかったのかもしれない。
当時はまだガラケーの時代だったから、見てチェック、読んでチェック、という感じだったと思う。
そういう対応は、先生からすると手間もかかったと思う。
それでも、次男のことを信用して、任せてくださったことは本当にありがたかった。
次男は、何でもかんでも「やりたくない」と言っていたわけではない。
自分が納得できれば、ちゃんとやる。
納得できないことには、どこまでも食い下がる。
親に対しても同じだった。
私も、何に納得していないのか分からないまま話していると、だんだんお互いヒートアップする。
でも、
「あ、こういうこと?」
と次男が引っかかっているところが分かって、それについて話し始めると、次男もスーッと落ち着いていく。
小さい頃は、そんなことの繰り返しだった。
「もっと難しいことをやりたかった」
そんな次男が高校生になった頃。
勉強しなくなった。
学校の勉強に興味がないから、勉強もしない。
当然、勉強しなければテストの点数も取れなくなっていった。
そんなあるとき、次男が言った。
「だから子供の時に、学校の勉強じゃなくてもっと難しいことやりたいって言ったじゃん。そうしてたら、もっと勉強できるようになってたかも。あんな簡単でつまらんことやっても意味ないもん」
おいおい。
結局、今は勉強できない子になってるんだから、一緒じゃない?
そのときは、そんなことを思った。
でも、そのあと少し考えた。
私は、次男が小学生の頃にそんなことを言っていたことを覚えていなかった。
きっとその頃の私は、
「何言ってるの、この子」
くらいに聞き流していたのだろう。
もし、あのときもっと真剣に話を聞いていたら。
「もっと難しいことって、どんなこと?」
と聞いて、一緒に探していたら。
何か変わっていたのだろうか。
今だったら、情報も選択肢もたくさんある。
次男が興味を持つものを探して、学校の勉強とは別に、もっと難しいことをやらせてみることもできたかもしれない。
そう思うと、少し残念な気持ちになる。
もちろん、実際にそうしていたらどうなっていたかなんて分からない。
もっと勉強が好きになったかもしれないし、何も変わらなかったかもしれない。
次男は、今でも次男
次男は、昔から自分で考えて、自分なりに納得できる答えを探す子だった。
みんなが「まあ、そういうものだよね」と流していることにも、いちいち引っかかる。
でも、相手がちゃんと話を聞いてくれる人なら、その人の言葉はちゃんと受け止めていた。
宿題についても、結局は完全にやらなかったわけではない。
先生や親との間で、自分なりの落とし所を見つけていた。
そんな次男を見ていると、
「もう少し、あの頃の『なんで?』を大事にしてあげてもよかったのかな」
と思うことがある。
でも、そのときの私は、そのときなりにやっていた。
4人を育てながら、毎日のことで精いっぱいだった。
だから今は、
「あのとき、もっとできたかもしれないな」
と、少し残念に思うくらい。
そして次男はきっと、今でも変わらない。
納得できないことには、簡単には「はい」と言わない。
それもまた、次男らしさなのだと思う。


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