四男の宿題のことを思い出そうとしても、やっぱりあまり思い出せない。
たぶん、あまりやっていなかった。
「宿題やった?」
と聞くと、
「あとでやる」
と言う。
でも、あとでやっているところを、私はほとんど見た記憶がない。
そして、提出しなければいけないときだけ、朝になって慌ててやっている。
漢字ドリルも計算ドリルも、なぜか途中で終わっていることが多かった。
10問あれば7問くらい。
20問あれば15問くらい。
全部やっていないのに、本人は「やった」という感じで提出している。
わざとなのか、無意識なのか。
やったつもりだったのかな。
先生に宿題のことで注意されても、四男はまったく気にしていなかった。
長男のように「どうしよう」と焦るわけでもない。
次男のように「なぜやらなきゃいけないのか」と考えて反発するわけでもない。
三男のように、怒られないようにやり過ごす感じとも少し違う。
ただ、あまり気にしていなかった。
勉強も好きではない。
地頭が悪いとは思わないけれど、努力や継続は苦手だった。
もう少しやればできるのに、というところで見切りをつける。
「僕はそんなにできんで……」
と言う。
やらなければいけないことでも、踏ん張るより逃げるほうを選ぶ。
四男には、そういうところがある。
でも、不思議なことに、スイッチが入ると全然違う。
小学校の卒業パーティーがコロナでオンラインになったときのこと。
四男は、その案内をパワーポイントで作り始めた。
ただ案内を作ればいいというものではなく、いろいろ工夫して、かなり作り込んでいた。
Zoomでの進行も見事だった。
普段、宿題を最後までやらない子が、こういうことになると、時間を忘れて没頭する。
興味のあることなら、こだわる。
自分が面白いと思えば、そこには時間を使う。
小学生の頃には、児童書よりもビジネス書を読んでいた。
GAFAについての本や、メタ思考についての本。
私は「そんな本、読むんだ」と思いながら、一緒に書店に行った。
四男は、小さい頃から自分のことをよく見ている子だった。
幼稚園の頃から、
「僕はこうだから、こうしたい」
と、自分の状態を分析して話すことがあった。
ただ「嫌だ」と言うのではなく、自分は今どういう状態なのか、だからどうしたいのかを、ちゃんと考えて話す。
兄たちのことも、よく見ていた。
四人兄弟の一番下だから、子どもの頃は何をやっても兄たちのほうができる。
そのせいなのか、自分はできないと思っているところがある。
実際には、同年代の中ではできるほうだと思う。
でも本人は、
「僕はできんで……」
と言う。
そして、できることだけ参加したり、兄たちをうまく利用したりする。
大きくなってからも、兄たちのことをよく観察している。
ときどき私とは違うところを見ていて、
「なるほど、そういう見方もあるのか」
と思わされることもある。
人のことを客観的に見る力は、かなりあると思う。
もちろん、自分のことも。
ただ、その客観視した結果、最後は自分に甘い。
やらなければいけないことをやらなかったり、
行かなければいけないところに行かなかったり。
もう少し踏ん張ればいいのに、そこで逃げてしまう。
宿題も、そうだった。
「あとでやる」と言って、やらない。
また、
「お母さんが聞いてないだけ」
とよく言われた。
これは今でも言われる。
確かに私は、四男の話を聞き流していることもある。
「あー、はいはい」
と聞いて、そのまま忘れてしまうこともある。
四男に言われて、そこはちょっと反省する。
四男の宿題を思い出しても、大きな出来事は出てこない。
途中までしかやっていないドリル。
朝になって慌ててやる宿題。
「やったよ」と言って提出する四男。
そんなことばかりだ。
でも、こうして振り返ってみると、宿題にもちゃんと四男らしさが出ていた。
やるべきことを、最後まで頑張り続けるのは苦手。
でも、自分が面白いと思ったことには、驚くほど集中する。
自分のことも、人のことも、よく観察する。
そして、自分なりに考えている。
ただ、最後のところでは、ちょっと自分に甘い。
四男の宿題は、やってある。
ただし、全部ではない。
それくらいが、四男らしかった。


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