「そんな格好で育児できるの?」と思っていた私が、本当は羨ましかった話

母である私のこと

赤ちゃん連れのお母さんで、きれいにお化粧をして、おしゃれをして、高いヒールを履いている人を見ると、心の中でこう思っていました。

「そんな格好して、育児ちゃんとできるの?」

今思えば、少し意地悪な見方をしていたかもしれません。
本当は羨ましかっただけなのに。

うちの子たちはベビーカーに乗らなかった

4人とも、ベビーカーにおとなしく乗っているタイプではありませんでした。
歩けない頃でも「抱っこして」と泣いてぐずり、歩けるようになれば今度はベビーカーから抜け出してしまう。

旅行のときなど、ベビーカーはいつの間にか荷物置き場になっていました。
そこに座っているのは子どもではなく、買い物袋や上着や荷物たちでした。

スーパーに行くだけでも一苦労。
買い物カゴを持ちながら子どもを追いかけて、また戻って、また呼び戻して。
気づけば、買い物よりも子どもを見ている時間の方が長くなっていました。

それでも、不思議と「おとなしくしてくれたらいいのに」とはあまり思いませんでした。
元気に動き回る姿は大変だったけれど、その子らしくて好きだったからです。

おしゃれは後回しで、それでよかった

服を選ぶ基準はいつも同じでした。
「動きやすいこと」「すぐ決まること」「子どもを追いかけられること」。

子どもを産んでから10年以上、おしゃれらしいおしゃれをしなかったと思います。
イベントのときや写真を撮る日だけ、少しだけ整える。
それが自分の中の”おしゃれの時間”でした。

おしゃれをしたくなかったわけではありません。
でも嫌だったわけでもありませんでした。
その時その時で、自分にできるいちばんの選択をしていただけ。
あの頃の私は、あのやり方でちゃんとやっていたのだと思います。

羨ましかったけれど、憧れのまま

今になって正直に言えます。
羨ましかったです。
おしゃれな服や高いヒールそのものではなく、育児の中にも自分の時間があるように見えたことが。
時間がゆっくり流れているように見えたことが。

でも、その光景を自分に当てはめてみると、少し落ち着かない気もします。
たぶん私には、あまり似合わない。

あの頃の私は、子どもたちを追いかけて、抱っこして、おんぶして、毎日を回すことに必死でした。
だからこそ、あのきれいなお母さんたちが眩しく見えたのかもしれません。
そしてきっと、あのお母さんたちにも、お母さんたちなりの大変さがあったのでしょう。
形が違っただけで。

あの頃の自分にかけたい言葉

今の自分が当時の自分に声をかけるとしたら、きっとこう言います。

「おしゃれできなくても、ベビーカーを使えなくても、そのままでよかったよ」

あの頃の私は、子どもたちを追いかけるのに夢中でした。
それもまた、私らしい子育てだったのだと思います。

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