夏休みになると、毎年考えていたことがあります。
「今日のお昼ごはん、何にしよう。」
子どもが4人いると、朝ごはんを片付けたと思ったら、もうお昼のことを考えている。
育ち盛りの子どもたちはお腹を空かせているし、毎日のことだから、献立を考えるだけでも結構な仕事でした。
でも、いつの頃からか、少し考え方が変わりました。
「何を食べるか」だけではなく、
「どう過ごすか」を楽しめばいいんじゃないかと思うようになったのです。
食べる場所を変えるだけで特別になる
夏になると、そうめんを食べる家庭も多いと思います。
簡単で暑い日にはぴったりなのですが、わが家の子どもたちにはあまり人気がありませんでした。
困った時は焼きそば。
でも、毎日のお昼ごはんを完璧に作ろうと思うと、親の方が疲れてしまいます。
そんな日は、おにぎりだけ作って出かけることもありました。
川遊びに行って河原で食べたり、公園で食べたり。
今思えば、何を食べたかよりも、どこで誰と食べたかの方が、子どもたちの記憶には残っているのかもしれません。
「何を食べるか」を気にしすぎると疲れてしまう。
だから時には、「どこで食べるか」を楽しむ夏休みでもありました。
夏休みは一緒に作る時間
時間に余裕がある夏休みは、普段できないことにも挑戦しました。
パンをこねたり、うどんをこねたり。
サンドイッチやおにぎりも、具材を用意して、自分たちで作ってもらいました。
手巻き寿司も、刺身がなくても具材を並べれば十分楽しめます。
そして、わが家で大活躍したのがホットプレートでした。
ホットプレートを出すと、しばらくはホットプレート料理が続きます。
おやつにホットケーキ。
夕飯にお好み焼きや焼きそば。
次の日のお昼は焼きおにぎり。
何でも焼いていました。
子どもたちにとってホットプレートは、おかずもメインもおやつも作れる「魔法の道具」だったのかもしれません。
片付けようとすると、
「まだダメ!」
と言われることもありました。
それくらい楽しかったんだと思います。
料理は夏休みの自由研究
小学生になると、夏休みの自由研究をきっかけに、子どもたちに料理を任せることもありました。
メニューを決めるところから始まり、材料を考え、買い物に行き、作って、片付ける。
できるだけ口を出さずに見守ろうと思いました。
アドバイスを求められた時のために、図書館で料理の本を何冊も借りてきたこともあります。
最初に作ったのは、オムライスやチャーハン。
オムライスは今でも得意料理で、よく作っています。
最後に挑戦したのは、鶏の唐揚げでした。
でも、油が跳ねる怖さを経験したようで、それ以来しばらく揚げ物には挑戦しませんでした。
もちろん、失敗もたくさんありました。
餃子は具がほとんど出てしまって、いつの間にかお団子のようになっていました。
うどんは麺の太さも長さもバラバラ。
パンは形にこだわって作ったのに、焼き上がったら大きく膨らんで、誰が作ったものかわからなくなりました。
「これは誰のパンでしょう?」
そんな推理大会になったこともあります。
でも、不思議と失敗した料理ほどよく覚えています。
みんなで笑いながら食べたからでしょうね。
見守るためには準備も必要だった
もちろん、いつも楽しくできたわけではありません。
時間に余裕がない日にやってしまうと、私自身が焦ってしまいました。
「もう貸して」
「こうした方がいいよ」
手も口も出てしまう。
せっかく子どもたちが楽しんでいた時間なのに、私が台無しにしてしまったこともありました。
そこで学んだことがあります。
子どもに任せる時は、親にも少し余裕が必要だということ。
そして、失敗して食べるものがなくなった時のために、少しだけ保険のごはんを用意しておくこと。
お腹が空いて機嫌が悪くなってしまった時も、食べられるものが少しあるだけで、親も子どもも落ち着きます。
その小さな準備のおかげで、私もゆったり見守れるようになりました。
料理は特別なことではなかった
今、息子たちは必要になれば料理をします。
一人暮らしをしている子も、自分で食事を作っています。
でも、料理をすることを特別なこととは思っていないようです。
お腹が空いたら作る。
必要なら自分でやる。
台所に立つことに抵抗がない。
きっと昔も今も、わが家ではそれだけだったのかもしれません。
料理をすることは、食べること。
食べることは、生きること。
だから、料理は特別なことではなかったのだと思います。
夏休みのお昼ごはんは、毎日のことで大変でした。
でも振り返ってみると、あの時間はただ食事を作っていたのではなく、親子で一緒に夏休みを楽しんでいた時間でした。


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