私は、知りたがりです。
気になることがあると、調べる。
わからないことがあると、聞く。
子どものこととなると、なおさらでした。
何か心配なことがあると、考えて、悩んで、調べて。
夜になると、もう泣きたくなるくらい考えてしまう。
それでも、次の日になると不思議と少し落ち着いて、
「まあ、なんとかなるか」
と思っている。
そんなことを何度も繰り返してきました。
でも、子育てをしているうちに、私は「知らないでいること」も覚えていったように思います。
初めてできた、親の知らない時間
子どもが幼稚園に行き始めた頃。
それまでずっと一緒にいた子どもに、初めて「親の知らない時間」ができました。
幼稚園で何をしているんだろう。
誰と遊んでいるんだろう。
先生とはどんな話をしているんだろう。
気になって仕方がありませんでした。
今思えば、かなり知りたかったんだと思います。
実際に、幼稚園の様子を覗きに行ったこともあります。
先生方は快く受け入れてくださったけれど、あまり迷惑はかけたくない。
「面倒な親だな」と思われるのも嫌でした。
それに、子どもには子どもの世界がある。
私は少しずつ、知らないでいることに慣れようと思うようになりました。
思春期になると、もっと知らないことが増えた
子どもが大きくなると、親の知らないことはどんどん増えていきます。
「どう?」
「大丈夫?」
と聞くことはありました。
でも、そこから先は、子どもが話してくれるのを待つ。
何か言いたそうにしていたら、
「何かあった?」
と声をかける。
それでも話してこなければ、そのままにする。
本当は、もっと聞きたかった。
何があったのか知りたかったし、心配で心がちぎれるんじゃないかと思うくらい考えたこともありました。
何か問題があるなら、早く知って、何かしてあげたい。
親だから、そう思います。
でも、聞けば話してくれるとは限らない。
聞かれたくないこともある。
自分で考えて、自分で乗り越えたいこともある。
だから私は、聞くことよりも、
「いつでも話していいよ」
という空気を作っておくことを大事にしました。
話したくなったら、いつでも聞く。
でも、話したくないときには無理に聞かない。
それが精一杯でした。
知りたいのは、誰のため?
今振り返ると、私は「知りたい」という気持ちが強い人だったんだと思います。
全部把握していれば安心できる。
何が起きているかわかっていれば、何かあったときにすぐ動ける。
だから知っておきたい。
でも、それは本当に相手のためだけだったのかな、とも思います。
もしかしたら、知ることで安心したかったのは、自分だったのかもしれません。
心配だから知りたい。
気づいてしまうから気になる。
気になるから、聞きたくなる。
でも、経験していくうちに、全部を知ろうとすることが、必ずしもいいことではないとわかってきました。
知らないことがあっても、何かあれば動ける。
何も知らないことと、無関心でいることは違う。
そう思えるようになりました。
私にできること
子どものことで心配なことがあるときは、夫にちらっと経過を話すこともありました。
「こんな感じなんだよね」と情報を共有して、少しだけ自分の負担を預ける。
全部を一人で抱えてしまうと、また子どもに聞きたくなってしまうから。
あとは、子どもの好きなおかずを作る。
それくらいでした。
問題を解決できるわけではない。
何があったのかも、全部はわからない。
それでも、家に帰ってきたときに、いつも通りの場所がある。
好きなおかずがある。
話したくなったら話せる。
それくらいしか、私にはできませんでした。
「知らないでいる」は、今も練習中
子どもが大きくなってから、私は「知らないでいること」にずいぶん慣れました。
……と言いたいところですが、今でも気になります。
知りたいし、聞きたい。
気づいてしまえば、やっぱり考えてしまいます。
だから、今でも自分に言い聞かせることがあります。
「知らなくていい」
「聞かなくていい」
「干渉しなくていい」
たぶん、これは子どもに言っていた言葉ではなくて、私自身に言っていた言葉だったんだと思います。
全部を知ろうとしなくても、何かあれば動くことはできる。
子どもとの間で覚えたこの感覚は、いつの間にか夫との関係にもつながっていきました。
夫婦だからといって、すべてを知っていなければいけないわけではない。
知らなくてもいいこともある。
知りたくなったときに、それは本当に相手のためなのか、それとも自分が安心したいだけなのか。
そんなふうに、一度立ち止まれるようになりました。
もちろん、今でも上手にできるわけではありません。
知りたくなることもあるし、気になってしまうこともある。
それでも私は、子育てをしながら少しずつ、知らないでいることを覚えてきたのだと思います。


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