涙そうそうは、母の怒りの曲でした ― 親は忘れても子どもは覚えている

子育てのあとで思うこと

「涙そうそう」は、大切な人を想って涙がこぼれる、やさしい曲。

でも我が家では、ずっと「母の激怒の曲」でした。

子どもたちが小学生の頃。

車で移動中、後部座席で兄弟げんかが始まりました。私は運転中。

何度声をかけても止まらない。車をすぐに止めることもできない。

焦りとイライラで、いっぱいいっぱいでした。

そのとき車内で流れていたのが「涙そうそう」。

私はけんかの声をかき消したくて、思わず大音量にしました。

突然の爆音に子どもたちは驚き、けんかはぴたりと止まりました。

親は忘れてしまっても

私はその出来事を、すっかり忘れていました。

それから10年以上が過ぎ、たまたま「涙そうそう」が流れたとき。

子どもたちが呆れ顔で、笑いながら言ったのです。

「あっ!この曲、お母さんの激怒の曲だ!」

その一言で、あのときの自分が一気によみがえりました。

余裕がなくて、感情的で、怒鳴ってばかりだった私。

大音量で音楽を流した自分を思い出すと、今でも少し情けなくなります。

本当は、冷静に声をかけられたらよかった。安全な場所に車を止めて、きちんと話せたらよかった。

怒りで抑え込むしかできなかったこと。そして何より――

私は、あの出来事を忘れていたこと。

子どもたちの中には、こんなにも強い記憶として残っていたのに。

親にとっては数えきれない日常の一つでも、子どもにとっては忘れられない瞬間になることがある。

そう思うと、胸が少し痛みました。

子どもの成長に感謝

当時の子どもたちは、きっと私の怒りや罵声に傷ついたこともあったと思います。

それなのに今は、笑い話にしてくれている。

子どもの成長って、本当にありがたい。

私は忘れていても、子どもには残っていることがたくさんあるのだと思います。良いことも、悪いことも。

そのときそのとき、精一杯やってきたつもりでも、振り返れば反省ばかり。

それでも子どもたちは、たくましく成長してくれました。

もちろん、いつでも冷静で穏やかな母でいられたら理想です。

でも現実は、いっぱいいっぱいになる日もある。感情的になってしまう日もある。

完璧ではなかった時間も、未熟だった私も、あのときは必死でした。

真剣に向き合い、同じ時間を重ねていれば、嫌な出来事さえいつか笑い話に変わることもあるのかもしれません。

聞くたびに思う

あの「涙そうそう」を聞くたびに思います。

完璧な母ではなかった。感情をぶつけてしまった日もあった。忘れてしまっていた出来事さえあった。

それでも、あの時間を一緒に過ごしたことは、確かに積み重なっていた。

子どもは、親の失敗も未熟さも含めて、ちゃんと見て、覚えて、成長していく。

だから私は、完璧を目指すよりも、向き合い続ける母でいたいと思います。

あのときも、不器用で情けなくても、本気で向き合っていた。それだけは、言える気がしています。

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