子どもが小さかった頃、一番怖かった出来事があります。
長男が小学生、次男が幼稚園。三男と四男はまだ小さく、家の周りで遊ぶのが当たり前だった頃のことです。
初夏の気持ちのいい放課後。
近所の小学二、三年生くらいのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが遊びに来ると、近所の子どもたちも自然と集まってきました。
一歳くらいの子から小学生まで、七、八人が道路や庭、空き地で思い思いに遊びます。
カードゲームをする子。下の子と遊んでくれる子。走り回る子。
親たちも近くで立ち話をしながら、なんとなくみんなを見守っていました。
そんな、いつもの放課後でした。
ふと人数を確認すると、一人足りません。
次男がいない。
私はいつも子どもの人数を気にしていたので、その瞬間に異変を感じました。
「○○ー!」
何度呼んでも返事はありません。
家の周りを探し、生垣の陰ものぞき込みました。
近所のお母さんたちも「こっちは探すね」と自然に動き出してくれました。
誰かは山道へ。
誰かは橋の方へ。
私は水路をのぞき込み、柵のあるところまで何度も確認しました。
橋の上から川を見下ろし、山道を歩きながら何度も名前を呼びました。
私が住む地域は、家の裏がすぐ山です。
近くには川が流れ、水路もあります。
「水路に流されたのかもしれない。」
「川へ落ちたのかもしれない。」
「山で迷っているのかもしれない。」
頭の中は悪い想像ばかり。
夕方になり、少しずつ辺りが暗くなってくると、怖さで足が震えました。
そんな中、冷静だったのは長男でした。
まだ小学生だった長男は、不安そうな顔をすることもなく、一生懸命に次男の名前を呼びながら探していました。
今思えば、「僕が見つけなきゃ」という幼い使命感だったのだと思います。
その姿に、私はどれだけ勇気づけられたことでしょう。
一方で、三男と四男はまだ小さく、何が起きているのかもよく分かっていません。
いつも通り遊び、いつも通り笑っていました。
その何気ない姿が、不思議と私の張りつめた気持ちを少しだけ和らげてくれました。
そして、近所のお母さんたちは誰一人「うちの子じゃないから」とは言いませんでした。
みんなが自分のことのように探してくれました。
その温かさにも、今になって感謝しています。
時間だけが過ぎていきます。
あとから思えば、実際は三十分ほどだったのかもしれません。それでも、少しずつ日が暮れていくあの時間は、私には途方もなく長く感じられました。
「もう警察に連絡しよう。」
誰かがそう言った、その時でした。
隣の家との境にある生垣が、ガサガサと揺れました。
そこから、おずおずと次男が出てきたのです。
悪戯が大事になってしまった、という気まずそうな顔をして。
あんなにみんなで探したのに、見つからなかった場所。
生垣の下に、小さな子どもの体がすっぽり隠れる空間ができていました。
きっと「警察」という言葉が聞こえて、出てこようと思ったのでしょう。
なぜ隠れていたのか、理由は覚えていません。聞いたのかどうかすら、覚えていないのです。
私は一瞬で力が抜けました。
安心。
脱力。
そして次男を抱きしめました。
でも、それもほんの一瞬。
すぐに我に返り、探してくれた皆さんにお礼とお詫びを伝えて回りました。
「よかったね。」
「本当によかった。」
そう言ってもらい、その日は自然と解散になりました。
あれから何十年も経ちました。
あの日、次男が隠れていた生垣の隙間は、今も少し空間が残っています。
そこには今、夫が趣味で植えた蕗が育っています。
毎日水をやるたびに、あの日のことを思い出します。
子育てをしていると、毎日は慌ただしく過ぎていきます。
叱る日もあれば、笑う日もある。
腹が立つ日だってあります。
でも、あの日、「どうか無事でいてほしい」と願い続けた時間を思い出すたびに思うのです。
子どもたちが元気でいてくれること。
それは決して当たり前ではありません。
今、子どもたちはそれぞれの場所で暮らしています。
会える日が減っても、連絡が少なくてもいい。
元気でいてくれる。
それだけで、親としては十分幸せなんだと、あの日の生垣が今も私に教えてくれています。


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