「四男だけ、小学校4年生でパソコンを買いました。」
高校生だった長男も、自分専用のパソコンは持っていなかったのにです。
プログラミングに夢中だった四男には、どうしても必要でした。
でも私は本当に迷いました。
高価な買い物ですし、管理やセキュリティのことも心配でした。
何より、
「兄弟で差をつけてしまう。」
そのことが引っかかっていました。
長男は何も言いませんでした。
自分には必要ないと思っていたのでしょう。
三男は「僕も欲しいな」と言いましたが、それ以上は何も言いませんでした。
次男だけは、
「四男だけずるい。だったら僕には〇〇を買って。」
と、いつものように自分の思いをぶつけてきました。
当時は「また始まった」と思っていた私ですが、今振り返ると、あの言葉に何度も考えさせられていたように思います。
小さい頃は「同じ」がすべてでした
4人の子どもがいますが、小さい頃はほとんど同じように育てていました。
長男にしたことは、下の子にもする。
同じ年齢になったら同じように経験させる。
それが平等だと思っていたからです。
小さい頃は、それで特に困ることはありませんでした。
でも成長するにつれて、一人ひとりの違いが大きくなっていきます。
趣味も違う。
部活も違う。
必要なものも違う。
そして、お金が必要になるタイミングも違いました。
成長とともに見えてきた違い
「これが欲しい。」
「これをやってみたい。」
子どもはよく言います。
その熱量が本物なのか、一時的なものなのか。
家計にも限りがあるので、全部叶えてあげることはできません。
だから私は、「兄弟だから同じでなければ」と考えすぎていたように思います。
何に使うのか。
いつ使うのか。
兄弟で差がつかないように。
そんなことばかり気にしていました。
子どもごとの「かけ時」
我が家は長男と四男が6歳差です。
たった6年ですが、その間にも子育ての常識はずいぶん変わりました。
長男が小学生の頃は、スマホを持っている子はほとんどいませんでした。
でも四男の頃には、クラスの半分くらいが持っている時代です。
スマホは4人とも高校入学まで持たせないと決めました。
でもパソコンは違いました。
四男には、その時必要だったからです。
次男は高校生の頃、投資に興味を持ちました。
三男は大学進学まで大きなお金はほとんど必要ありませんでしたが、遠方の大学へ進学する時にまとまった費用がかかりました。
子どもによって、「かけ時」はまったく違いました。
夫の方が柔軟でした
夫は比較的柔軟で、
「家計が大丈夫なら買ってあげればいいんじゃない?」
という考えでした。
もちろん、何でも買い与えるということではありません。
次男は「あれもこれも欲しい」というタイプだったので、「何でもかんでもはダメ」という線引きは必要でした。
私は兄弟で差をつけることばかり気にしていましたが、夫の方が少し柔軟だったように思います。
親の思いと、子どもの本音のズレ
反対に、親の「これを好きになってほしい」「役に立つはず」という思いで買ったものは、あまり使われないこともありました。
親が必要だと思うものと、子どもが必要だと思うものは、必ずしも同じではありませんでした。
平等とは、同じにすることではなかった
4人を育て終えた今、思うことがあります。
平等にすることと、同じにすることは違いました。
その子に必要なものも、必要になる時期も、一人ひとり違います。
だから今、子育て中のあの頃の私に声をかけるなら、
「兄弟を同じように育てようとしなくていいよ。」
そう伝えたいです。
そして、もう一つ。
「子どもの熱量と、わがままを上手に見極めてね。」
子どもの「やってみたい」は、親から見るとわがままに見えることもあります。
でも、その中に、その子の未来につながる熱量が隠れていることもあります。
その判断は、とても難しく、その時には分からず、後になって「あれが、この子のかけ時だったんだ」と気付くこともあります。
だから私は、子どもの熱量とわがままを見極められる親でいたいと思っています。
それが、4人の子育てで私が学んだことの一つです。


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