高学年まで続いたおねしょとお漏らし。いつ終わるのか分からなかった、あの頃の話

子育てのあとで思うこと

三男は、おねしょもお漏らしも小学生の高学年までありました。

幼稚園の頃は、周りにもまだ何人か同じような子がいました。

着替えや洗濯も、それほど大変ではありませんでした。

夜は大きめのオムツを履かせておけばよかったので、私もそれほど気にしていませんでした。

でも、心配ではありました。

周りのお友達は、だんだんおねしょもしなくなり、お漏らしもしなくなっていく。

兄弟を見ても、こんなに長く続いた子はいませんでした。

いつまで続くんだろう。

その気持ちは、少しずつ大きくなっていきました。

三男は、あまり積極的に話す子ではありませんでした。

何かあっても、黙って何事もなかったようにしている。

私が気づいて声をかけても、もじもじする。

そんな様子に、私はイライラしてしまうことがありました。

今思えば、お漏らしをしてしまったことよりも、何も言わずにもじもじしている三男の態度に、私はイライラしていたのかもしれません。

怒っても仕方がないのに。

頭では分かっていました。

それでも、余裕がないときは強く言ってしまうことがありました。

小学生になっても、お漏らしは続きました。

学校にも着替えを持たせました。

先生に預けておいたり、保健室で対応してもらったり。

匂いがしたときには、先生からさりげなく「保健室で着替えておいで」と声をかけてもらっていました。

年齢が上がるにつれて、三男自身も恥ずかしさを感じるようになっていたと思います。

自分から言い出すことも難しくなっていきました。

先生が上手に対応してくださったので、大きな問題になったり、いじめにつながったりすることはありませんでした。

それでも、保健室で着替えることは続いていました。

家では、兄弟には遠慮がありません。

「また臭い」
「絶対漏らしてるって」
「してないもん……」

毎回、同じような会話が繰り返されていました。

私は、余裕があるときは、何も言わずにそっと着替えさせることができました。

でも、私自身がイライラしていると、きつく言ってしまうこともありました。

そんなとき、三男は何も言いません。

ただ、シクシク泣いていました。

その姿を見ながら、言い過ぎたと思う。

言いながら、もう一人の私が「そんなこと言っちゃダメ」と言っていました。

それでも、止められないことがありました。

一番大変だったのは、おねしょでした。

幼稚園の頃のように、ずっとオムツを履かせておくわけにもいきません。

もう子ども用のオムツはサイズアウトしていましたし、毎日おねしょをするわけでもない。

だから、オムツを履かせるのもかわいそうな気がしました。

でも、子ども用のおねしょシーツでは足りませんでした。

量が多いと、布団まで染みてしまいます。

軽く濡れただけなら、雑巾で拭いて、ファブリーズをして干す。

でも、がっつり濡れてしまったときは大変です。

コインランドリーへ持っていったり、お風呂場で丸洗いしたり。

濡れた布団を扱うのは、本当に重労働でした。

途中から、大人用の介護用シーツを使うようになりました。

それだけでも少し楽になりました。

布団にビニールを敷いたこともありました。

寝返りをするとガサガサ音がするので、三男には申し訳ないなと思いながら、それでも布団を守るためには仕方ありませんでした。

おねしょをしたものは、洗濯バケツにつけ置きしておくようにもなりました。

そのまま朝まで置いておけば、慌てて洗濯しなくてもいい。

そんな小さな工夫だけでも、ずいぶん気持ちが違いました。

それでも、布団が犠牲になることはありました。

10歳を過ぎた頃、さすがに心配になって病院にも相談しました。

何か病気があるのかもしれない。

そう思っていたからです。

診てもらった結果、特に病気があるわけではなく、

「もう少し様子を見ましょう」

ということでした。

病気ではないと分かったことには安心しました。

でも、モヤモヤは残りました。

「大人になるまでには治りますよ」

と言われても、

じゃあ、いつまでなの?

その不安はなくなりませんでした。

夜中に起こしてトイレに連れていくことは、日常ではしませんでした。

病院で、夜中に起こすのはよくないと言われていたからです。

でも、お泊まりとなると話は別です。

よその家で粗相をしてはいけない。

そう思って、一緒に泊まるときには夜中に起こしてトイレに連れていきました。

私が一緒ではない学校行事のときには、先生にお願いしました。

5年生の野外学習のときも、夜中に起こしてトイレに連れていってもらいました。

6年生の修学旅行のときは、

「気をつけてね」

と本人に言っただけ。

それで、なんとかなりました。

今思えば、この一年の間にも、少しずつ変わっていたのかもしれません。

私は、おねしょやお漏らしが続くことについて、いろいろ考えました。

精神的なものが影響しているのかもしれない。

そんなことをどこかで読めば、

私の育児が悪かったのかな。

何か我慢させているのかな。

私が気づいていないだけで、何かあるのかな。

そんなふうに、自分の子育てまで振り返ってしまいました。

そして、私は何度も三男を傷つける言葉を投げつけてしまいました。

三男が何も言ってくれないことが、私に対する抗議のように思えてしまうこともあったのだと思います。

今思うと、あれはただ、どうしていいのか分からなかっただけなのかもしれません。

本当に、かわいそうなことをしたと思います。

でも、不思議なことに。

気がついたら、お漏らしもおねしょもしなくなっていました。

いつからだったのか、覚えていません。

きっと、何か大きな出来事があったわけではないのだと思います。

他の兄弟のことで手がかかったり、別のことに意識が向いたりして、私がお漏らしのことばかり気にしなくなった。

「まあ、そのうちしなくなるだろう」

そんなふうに思えるようになっていたのかもしれません。

私の肩の力が抜けたことが、三男を楽にしたのかもしれない。

そんなことも思います。

でも、本当のところは分かりません。

ただ、あれほど心配していたことが、いつの間にか終わっていました。

今振り返ると、すごく悩んでいたけれど、大した問題ではなかったなと思います。

それよりも、私が洗濯や布団のことを大変だと思うあまり、三男に当たってしまったこと。

そちらのほうが、ずっと問題だったなと思います。

もちろん、濡れた布団を洗うのは大変です。

何度も続けば、イライラするのも無理はありません。

だからこそ、もっと早く、私が楽になる方法を探せばよかったと思います。

大人用の介護用シーツを使う。

布団にビニールを敷いてしまう。

おねしょしたものは、洗濯バケツにつけ置きしておく。

子どもが嫌がらないなら、オムツを使う。

私は、後から少しずつそういう方法にたどり着きました。

もっと早くやればよかった。

一つ一つを「大変なこと」と思うと、つらくなる。

でも、「こういうもんだ」と思えるようになってから、私は少し楽になりました。

あの頃の私は、

「いつまで続くんだろう」

と、ずっと先のことを心配していました。

でも、終わってみれば、いつ終わったのかさえ覚えていません。

病気がないことが分かっていても、いつ終わるのかは分からない。

それでも、いつか終わる日が来る。

あの頃の私に、そう言ってあげたいです。

そしてもう一つ。

もっとゆったり見てあげればよかったね、と。

三男のおねしょやお漏らしがなくなった理由は、今でも分かりません。

成長したからなのか。

たまたまなのか。

私の肩の力が抜けたからなのか。

それとも、全部関係なかったのか。

分からないけれど、

あれほど心配していたことも、ちゃんと終わる日が来た。

今は、それだけ覚えています。

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