長男が小学一年生のときの話です。
ある日、担任の先生から電話がありました。
「集団登校の途中、橋の上で毎日動かなくなってしまうんです。上級生が困っています。できればお母さん、一緒に登校してもらえませんか?」
長男に理由を聞いて、私は少し可笑しくて、そして少し呆れてしまいました。
トラックが通ると橋がガタガタと揺れる。それが楽しくて、長男はトラックを待って動かなくなっていたのだそうです。
悪気はまったくありませんでした。ただ、面白かっただけ。
でも、集団の中では「問題」になります。
家では、止めなかった
長男は、小さい頃から興味にまっすぐな子でした。
幼稚園に入る前、水たまりを見つければ座り込み、全身びしょ濡れ。砂場では頭から砂をかぶり、髪の間まで砂まみれ。着替えはいつも何セットも持ち歩いていました。
私は家庭では、できるだけその「やりたい」を止めたくありませんでした。
汚れてもいい。時間がかかってもいい。家でなら、困るのは私だけ。それなら、思いきりやらせてあげたいと思っていました。
好奇心を止めてしまうのは、もったいない。その子らしさを守りたいと思っていたのです。
集団の中での難しさ
幼稚園に入り、世界が変わります。
興味のままに動くことは、集団の中ではそのままでは通らないこともある。
幼稚園からも何度か連絡をもらいました。バスの非常ボタンを押してしまったり、園から脱走したり。
そして小学校。橋の上で立ち止まる。
家庭では微笑ましいことも、集団の中では困りごとになる。
自由にさせることは大切。でも、自由にも時と場合がある。それを学んでいく必要があるのだと、私自身も気づかされました。
一緒に登校は現実的に無理だった
当時、長男は一年生。次男は年中。三男は2歳。四男は0歳。
片道30分の通学路を毎日付き添うのは、どう考えても無理でした。
先生に事情を説明し、長男としっかり話すことを約束しました。
休みの日に一緒に通学路を歩き、「ここは危ない場所」「ここは我慢するところ」「ここなら楽しんでもいい」と、親子で話しながら歩きました。
叱るよりも、状況を説明し、なぜそうするのかを伝えました。
その後、学校から連絡は来なくなりました。きっと、ちゃんと歩いていたのだと思います。
成長は、時間と人が育ててくれる
成長とともに行動は落ち着き、やがてリーダーとして活躍することもありました。
あの頃、困らせてしまった上級生。迷惑をかけてしまった先生方。それでも受け止めてくれたことに、今は感謝しています。
自由にさせた時間も、集団の中で学んだ時間も、どちらも長男をつくっている。
子どもは、親だけで育つのではない。周りの多くの人に支えられながら、少しずつ社会を学んでいく。
あの橋の上で立ち止まり、ワクワクしていた時間も、きっと必要な時間だったのだと思います。
今、振り返って思うこと
悪気がなくても集団の中では問題になることがある。すべてを親が背負うのは、現実的に無理なときもある。叱るより、状況を伝えた方が届くこともある。
そして何より、子どもは周りの人に育ててもらっているのだと感じています。
あの頃は必死でした。でも今振り返ると、問題とされた長男の姿も、その子らしく、愛おしい姿だったのだと思います。


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